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広島地方裁判所呉支部 昭和58年(ワ)78号 判決

原告 甲野一郎

右法定代理人親権者 甲野太郎

右同 甲野花子

右訴訟代理人弁護士 高村是懿

被告 乙山春夫

右法定代理人親権者 乙山松夫

右同 乙山竹子

右訴訟代理人弁護士 笹木和義

被告 呉市

右代表者市長 佐々木有

右訴訟代理人弁護士 鍵尾豪雄

主文

一  被告乙山春夫及び被告呉市は、原告に対し、各自金一九四六万六二五〇円及び内金一八〇六万六二五〇円に対する昭和五七年五月一四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告の負担とし、その余を被告らの連帯負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告に対し、各自金三二四七万五五八一円及び内金二九四七万五五八一円に対する昭和五七年五月一四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  被告乙山

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  被告呉市

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

(三) 担保を条件とする仮執行免脱宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

原告甲野一郎(以下「原告」という。)及び被告乙山春夫(以下「乙山」という。)は、昭和五七年五月当時、被告呉市が設置する丙川中学校に在学していた者である。

2  (本件事故の発生)

(一) 原告及び乙山は、昭和五七年五月一三日から二泊三日の丙川中学校の北九州修学旅行に参加し、同日、長崎県高来郡小浜町雲仙所在のニュー雲仙ホテルに宿泊した。

(二) 同日午後一一時四〇分ころ、乙山は、同級生約六名とともに、原告らが就寝していた右ホテル五〇六号室に乱入し、乙山はその場から引き揚げる際、草履(雪駄)を室内に投げつけ、これが原告の右眼に当たり、原告は右眼網膜萎縮の傷害を負った。

(三) 右傷害により、原告の右眼視力は、一・五から〇・〇九に低下し、右症状は遅くとも昭和六〇年九月二〇日には固定した。

3  (被告らの責任)

(一) 乙山の責任

乙山は、故意又は過失により、原告に右傷害を負わせたのであるから、民法七〇九条により、原告の受けた後記損害につき、賠償責任を負う。

(二) 被告呉市の責任

(1) 本件修学旅行において、呉市の公務員である学校教諭が教育活動の一環として参加生徒を引率するとともに、事故のないよう監督保護する行為は、国家賠償法一条の「公権力の行使」に該当する。

(2) そして、学校教育行事の一つとして行われている本件修学旅行においては、管理の行き届く学校内の行事とは状況を異にしているのであるから、各参加教諭は、自己の担任学級に属する生徒については勿論のこと、引率者として事実上監護を及ぼすことのできる生徒全てに対し、集団行動のために起こり得る事故について共同して監護する義務を負う。

(3) 中学校の生徒は、一般に修学旅行宿泊の際、ややもすれば解放的気分から物を投げたり、喧嘩をしたり、規律を乱したりするなどの行動に出やすい状況にある。

そして、丙川中学校の場合は、前年の修学旅行において、就寝時間中、男子生徒が女子生徒の部屋に侵入するという事件が発生していた。

さらに、同中学校は、本件修学旅行当時、いわゆる「つっぱりグループ」を抱える問題校であった。

かかる状況のもとで本件修学旅行が企画されたのであるから、引率に当たる各教諭は、相協力して就寝時に生徒が部屋から抜け出すことのないよう万全の措置をとるべき注意義務を負っていたものである。

(4) 昭和五七年五月一三日、ニュー雲仙ホテルに男子生徒を宿泊させた際、乙山を含むつっぱりグループは、当初学校側が指定していた部屋割を無視して五一一号室を占拠し、学校側もこの事態を容認したのであるから、男子生徒の引率、監督を担当していた福田、太刀掛、天川、石井、高森、濱本の各教員は、右五一一号室の動静に注意し、室外外出禁止とされていた午後一〇時三〇分以後は、少なくとも生徒が寝静まる午前零時ころまでの間、常時最低一人の教諭が五階廊下に立つなどして、五一一号室在室者が外出することのないようその行動を監視し、事故の発生を未然に防止すべき責任を負っていたものである。

(5) しかるに、当日午後一〇時三〇分以後、天川、石井、太刀掛の各教諭が四、五階を適宜巡視したに止まり、特に一一時一〇分から三五分ころまでの間は、生徒が未だ寝静まる時間でもないのにミーティングと称して四〇一号室に集合し、わずかに最も経験の少ない濱本教諭のみに四、五階、ロビー等の巡視をさせたため、生徒への監視態勢が著しく低下してしまった。

そして、この間に、四〇四号室の丁原、戊田、四〇七号室の丁田、五〇五号室の丙田らが室外に出て五一一号室に集合し、五一一号室の者と一緒になって、四、五階の各室を襲撃したが、教諭の誰一人これに気付かなかった。

その後、一一時二〇分ころになって、巡視をしていた濱本教諭は、四〇二号室の襲撃を終えて出て来た乙田、甲田、丁川、丁山、乙山、丁原、丁田の七名の生徒を発見したが、四〇二号室にいた理由や何をしていたのかを尋ねたり、他の教諭に右の事態を報告し、監視態勢の強化の措置を図るなどすることをせずに、漫然右七名を五一一号室に入室させたに止まったため、それからわずか後の一一時四〇分ころ、乙山ら約七名が再び五一一号室を出て、原告らの就寝する五〇六号室に行き、ドアを数分間たたいて鍵をあけさせ、乱入して、原告などに暴行を振った結果、原告は前記の傷害を負うこととなった。

(6) 以上のとおりなので、男子引率の六名の各教員の保護監督義務違反の過失は明らかであり、設置者たる被告呉市は、国家賠償法一条により、後記損害につき賠償する責任がある。

4  (原告の損害)

(一) 逸失利益(二二四七万五五一八円)

(1) 原告は、本件事故により、右眼の視力が正常な一・五から〇・〇九に低下した。そこで、後遺症等級は一〇級に、労働能力喪失率は二七パーセントに各該当する。

(2) 原告は、昭和五八年三月末に丙川中学校を卒業し、同年四月一日から広島県立江田島高等学校に在学中であり、一八歳から六七歳まで就労可能であるので、就労可能年数は四九年となり、ホフマン係数は二四・四二となる。

(3) 原告は、右の間、賃金センサス昭和五五年第一巻第一表の男子労働者の学歴計、企業規模計の賃金を平均的に取得すると考えるのが相当であるところ、右表によれば、月額給与が二二万一七〇〇円、年間賞与その他特別給与が七四万八四〇〇円となる。

(4) よって、(22万1700円×12か月+74万8400円)×0.27×24.42=2247万5581円

となる。

(二) 慰謝料(七〇〇万円)

原告は、本件事故により、通院加療を受け、さらに、右後遺症により甚大な精神的苦痛を被ったので、これらを慰謝するには、少なくとも七〇〇万円の支払が相当である。

(三) 弁護士費用(三〇〇万円)

原告は、本件提起のため、原告代理人に委任し、その着手金及び成功報酬として三〇〇万円を支払うことを約束した。

よって、原告は、乙山に対しては民法七〇九条に基づき、被告呉市に対しては国家賠償法一条に基づき、各自金三二四七万五五八一円及び内金二九四七万五五八一円に対する不法行為日の翌日である昭和五七年五月一四日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  被告乙山

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二)(1) 同2の(一)の事実は認める。

(2) 同2の(二)の事実中、乙山が昭和五七年五月一三日午後一一時四〇分ころ、同級生約六名とともに五〇六号室に入室した事は認め、その余は否認する。

(3) 同2の(三)の事実は知らない。

(三) 同3の(一)の主張は争う。

(四) 同4の各事実はいずれも知らない。

(五) (被告乙山の主張)

(1) 本件事故発生前後の状況について

本件事故が発生した昭和五七年五月一三日、乙山は、他の生徒約六名とともにニュー雲仙ホテル五〇六号室の隣室に宿泊していた。同日午後一一時四〇分ころ、他の部屋に遊びに行こうということになり、乙山は同室に宿泊していた生徒約六名とともに五〇六号室に行ったが、既に部屋の明かりは消えていた。ところが、乙山らが五〇六号室に入るや枕が飛び交い、乱闘となった。乙山は、部屋の入口でその様子を見ていたが、突然枕が飛んできて乙山の顔面に命中したので、仕返しに足下にあったスリッパを一つ取って、左側の方へ投げ返したが、誰かに当たった様子はなかった。その後乙山は、自分の部屋に戻り、一人でテレビゲームをして遊んでいたが、部屋の外の様子が変なので出てみると、原告が廊下で介抱されていた。話を聞いたところ、スリッパが顔に当たったらしいということなので、自分が投げたスリッパかもしれないと正直に告げたところ、その場にいた生徒達から一斉におまえがやったんじゃと決めつけられ、現場に駆け着けて来た教師にもそのように報告されてしまった次第である。

(2) 本件事故報告書の問題点

当時引率していた教師が作成した事故報告書は、事故現場の調査や肝心の乙山への事情聴取がなされないままその場にいた生徒達の話を鵜呑みにして作成されたもので、その内容には疑問が多く、例えば乙山は一貫して自分が投げた物はスリッパだと述べているが、事故報告書では原告に当たった物は草履(雪駄)となっており、これをもって乙山が本件事故の加害者と決め付けることはできない。

2  被告呉市

(一) 請求原因1の事実は認める。

(二)(1) 同2の(一)の事実は認める。

(2) 同2の(二)の事実中、原告主張日時に約七名の生徒が五〇六号室に立ち入ったこと、乙山が投げた草履が原告の右眼に当たって負傷したことは認め、その余は知らない。

(3) 同2の(三)の事実は知らない。

(三) 同3の(二)の事実中、福田以下六名の教員が呉市の公務員であることは認め、その余は否認し、その主張は争う。

(四) 同4の各事実中、原告が丙川中学校を卒業し、江田島高校に進学したことは認め、その余は知らない。

(五) 被告呉市の反論

(1) 中学校教員の教育安全義務について

ア 中学校教員の生徒に対する教育安全義務は、親権者の法定監督義務と異なり、その範囲及び内容において一定の限度が存在する。

すなわち、右教育安全義務の範囲は、生徒の生活活動の領域のうち、学校における直接の教育活動と密接な関係にある生活を基準として決すべきであり、しかも学校における教育活動に密接不離な生活関係であっても、それが学校活動において通常生ずることの予見可能な領域に限定されるべきものである。

イ ところが、本件事故は、乙山らが五〇一号室など他の部屋に立ち入って、就寝中の生徒をたたいたり、布団蒸しをしたりしたが、何の怪我もさせずに終えた後、同様の方法で五〇六号室で暴れ、乙山が部屋を立ち去ろうとした際、暗くて誰かの足につまづいたため、気分を悪くして玄関口にあった草履の片方を室内に投げ込み、これが原告に当ったために生じたもので、全く突発的なものであった。

ウ 右のような突発的事故を、相当な自律能力及び判断能力を有していた乙山が引き起こすことを、引率教員が予測することは到底不可能であって、前記安全教育義務の範囲外というべきである。

(2) 相当因果関係について

本件事故と部屋割りの一部を変更して乙田、丁山、乙山の入室を認めたこと、濱本教諭が乙田外六名の生徒を発見して五一一号室に連れ戻しながら、校長等に連絡しなかったこととは何ら相当因果関係がない。

三  抗弁(被告両名)

1  障害見舞金(一七五万円)

原告は、日本学校健康会から、昭和五八年一一月二一日に障害見舞金一七五万円の給付を受けた。

2  後遺障害保険金(二〇〇万円)

原告は、東京海上火災保険株式会社から、昭和五八年七月一日に国内旅行傷害保険契約に基づき後遺障害保険金二〇〇万円の給付を受けた。

四  抗弁に対する認否

いずれも認める。

五  再抗弁(後遺障害保険金に対して)

1  東京海上火災保険株式会社の国内旅行傷害保険は、修学旅行の際の傷害事故に備えて、原告の保護者を含めて旅行参加生徒の父兄が拠出した保険料をもとに、被告呉市が窓口となって右保険会社と契約したに過ぎないものであって、その保険契約者及び被保険者は原告ら生徒であるので、その給付金は損益相殺の対象とならない。

2  右給付金を受領するに当たり、原告と被告呉市は、損益相殺の対象にしないと合意した。

六  再抗弁に対する認否(被告両名)

1  再抗弁1の事実中、国内旅行傷害保険の保険契約者及び被保険者が原告ら生徒であることは認め、その余は否認ないし争う。

2  同2の事実は否認する。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1及び2の(一)の事実は当事者間に争いがない。

二  同2の(二)の事実中、乙山が昭和五七年五月一三日午後一一時四〇分ころ同級生約六名とともに五〇六号室に入室した事実はいずれの当事者間にも争いがなく、その際乙山が投げた草履が原告の右眼に当たって負傷した事実は、原告と被告呉市との間で争いがない。

三  被告乙山は、自己が投げた草履が原告の右眼に当たったことを争うので検討するに、右争いない事実(原告と被告呉市との間で争いがない乙山の投げた草履が原告の右眼に当たって負傷したとの事実は除く。)、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

原告は、ニュー雲仙ホテル五〇六号室において、他の級友とともに就寝していたところ、昭和五七年五月一三日午後一一時四〇分ころ、乙山、乙田、甲田、丁川、丁原、丁田から襲撃を受け、暗闇の中で、二、三分の間、布団をかぶせられて乱暴されたり、枕を投げつけられたりしたが、右襲撃で目を覚まして起き上がった際、入口付近から飛んできた何かが右眼に当たり、その時、入口付近に乙山、丁田ら二、三名の生徒がいるのが廊下の明りで見え、その直後室内に電灯がついたので見ると、目の前に雪駄(表がわらで編んだ草履のようになっており、裏はゴムになっている)が片方落ちていた。乙山は、右襲撃の帰り際に、同室入口付近から室内に向かって履物を投げつけたが、その直後、丁田とともに五〇六号室に戻って来て、丁田から「おまえがしたのだ」と言われ、原告に対して「悪かったのう」と謝り、その翌日、雲仙ホテルにおいて、浜崎養護教諭に対して「自分がわらじを投げた」旨説明し、さらに、桧垣教諭に対して、水前寺公園から熊本城に向かうバスの中で、「入口にあった表が畳、裏がゴムでできている雪駄の片方を中に向かって投げた」旨語った。

また、ホテル内での履物は、スリッパと雪駄(草履)の二種類が使用されており、生徒はスリッパを使用していたが、乙山らのグループは、食堂で雪駄(草履)に履き替えてこれを使用していた。

そして、証拠上乙山以外の者が履物を室内に向かって投げた形跡は窺えず、室内の原告近辺に雪駄(草履)以外にスリッパが落ちていた様子も窺えないのであって、以上の認定事実を総合すると、乙山が五〇六号室の入口から室内に向かって投げた雪駄(草履)が原告の右眼に当たったことが認められる。

《証拠判断省略》

四  《証拠省略》によれば、原告は、前記の雪駄が右眼に当たったことにより右眼網膜萎縮の傷害を負い、これによって右眼視力が一・五から〇・〇九に低下し、右症状は遅くとも九月二〇日には固定したことが認められ、右認定に反する証拠はない。

五  乙山の責任について

前記三で認定した事実によれば、乙山は五〇六号室内に生徒がいることを知りながら、同室内に向って雪駄を投げつけ、これが原告の右眼に当たり、原告に対して右眼網膜萎縮の傷害を負わせたことが認められ、乙山は少なくとも過失によって原告に傷害を負わせたものというべく、民法七〇九条に基づき、原告の受けた後記損害につき、賠償する責めを負う。(なお、乙山が事件当時一四歳九か月の年齢であったことは、弁論の全趣旨により明らかであって、証拠上責任能力に疑いを生ぜしめる事実は認められない。)

六  被告呉市の責任について

1  国家賠償法一条に規定する「公権力の行使」とは、国又は公共団体がその権限に基づき、優越的意思の発動として行う狭義の権力作用のみならず、広く国又は公共団体の行う非権力的作用もまた包含すると解するのが相当である。

2  そして、前記三で認定したような普通地方公共団体たる呉市が設置した公立学校が、教育活動の一環として実施した修学旅行中に生じた事故についても、同条の適用はあるというべきである。(本件修学旅行を引率した校長、教諭らが、呉市立丙川中学校に勤務する地方公務員であることは、当事者間に争いがない。)

3  ところで、公立学校の教員は、学校教育法等の法令ないしその精神によって、生徒を保護し監督する義務があり、この義務は、学校教育活動及びこれと密接不離の関係にある生活関係の範囲に及ぶものであり、校内、校外の如何を問わないことはいうまでもない。

4  (監視体制についての過失)

(一)  右保護監督義務に関して、原告は、中学校の生徒は修学旅行で宿泊する際、一般に解放的気分から規律違反の粗暴行動に出やすいこと、前年の修学旅行で男子生徒が就寝時間中に女子生徒の部屋に侵入したことがあったこと、丙川中学校はいわゆるつっぱりグループを抱える問題校であったこと、学校は旅行初日の一三日に乙山ら右グループが五一一号室を占拠したことを容認したこと、以上のことから、引率教員は、相協力して就寝時に生徒が部屋から抜け出すことのないよう、少なくとも生徒が寝静まる午前零時ころまで、常時最低一人の教員が五階廊下に立つなどして五一一号室の者が外出しないように監視等すべき注意義務を負っていたのに、これを怠った点に過失がある旨主張するので、この点につき検討する。

(二)  前記三で認定した事実、《証拠省略》を総合すると、次の事実が認められる。

丙川中学校では、本件修学旅行を実施するに当たり、旅行中の事故を防止するために引率者のとるべき措置として、就寝前は一時間毎に生徒が宿泊する四、五階を巡視し、就寝後においても適宜巡視し、生徒の動静について異常の有無を確かめ万全を期すこと、生徒の部屋割は引率者が十分確認し、無作法や迷惑をかけることのないよう監督に当たること、旅館発着時、就寝時及び起床時の点呼や点検を厳重にすることなどの方針を定め、また、前年度の修学旅行中の深夜、男子生徒一名が女子生徒の部屋にはいりこむ事件が発生したため、その対策の意味もあって、男子生徒の宿泊するホテルと女子生徒のそれとは別に設けた。福田校長、太刀掛、石井、天川、高森、濱本各教諭は、五月一三日午後六時四〇分ころ、男子生徒一三三名を引率してニュー雲仙ホテルに到着し、直ちに人員点呼を行い、予め定められていたとおり、四、五階の一八室に七、八名ずつ部屋割りしたが、異常はなく、ホテルの各部屋に内鍵がかかり、室内に便所が設置されていたため、生徒に対して、消灯後部屋から出ることを禁止し、また就寝時は内鍵をかけるよう指導した。また、男子生徒が女子生徒の宿泊するホテルに出かけることのないよう一階ロビーをも巡視の対象に加えることとした。

ところが、到着点呼後、乙山、丁山(五〇三号室)及び乙田(五〇七号室)と五一一号室の甲田、丁川とが五一一号室を占拠して、同室の丁山ら五名を締め出す事態が発生し、右丁山らから事情の訴えを受けた濱本教諭が五一一号室に赴き、乙田らに対して指定された部屋に戻るよう指示したが、同人らはこれに従わなかったので、トラブルの拡大を防止するため、他の教諭の了承を得て、締め出された丁山ら五名に四〇八号室を割り当て、乙田、丁山、乙山に対しては、食事、入浴、点呼などは本来割り当てられた部屋の団体規律に従うこととの条件付きで、五一一号室で就寝することを許可した。

そして、乙山は、一〇時点呼の際は五〇三号室に戻ることを拒否したものの、一〇時半の消灯時点呼の際は、五〇三号室に戻って点呼を受けた。

その間、石井、天川、太刀掛の三教諭がロビーを、濱本、高森両教諭が四、五階を巡視したが、いずれも異常はなかった。

さらに、消灯後は、高森、濱本両教諭がロビーと四階の巡視を主に担当し、時々五階に上がり、他の三教諭が四、五階の巡視を担当し、五階は午前一時ころ、四階は午前四時半ころまで適宜行われたが、同教諭らは、巡視に当たり、五一一号室に問題生徒が集まったということで注意を払ってはいたが、特別な扱いはしなかった。午後一一時ころ、五一一号室を占拠した乙山ら五名に他室の丁原、丁田を加えた七名の者が五〇一号室、五〇二号室、五〇四号室、五〇八号室、五〇九号室、四〇二号室と順に襲撃を開始し、午後一一時二〇分ころ、四階から五階へ上がる中央階段で巡視中の濱本教諭に発見された。

濱本教諭は、右七名を発見し、これらの生徒が五一一号室を占拠した五名と他部屋の丁田、丁原であることにその場で気付き、丁田と丁原までが一緒にいることに不審を抱くとともに、これらの生徒が規律に違反して部屋を抜け出したとまでは考えたものの、彼らが何をしていたのかということは疑問に思わず、また、それについて質問することなく、五一一号室以外の丁田、丁原を寝静まっている元の部屋に戻すことは適当でないと考えて、右七名全員を五一一号室に戻し、七名に対して、消灯後であるからおとなしくするように注意したうえ、静かになったのを確認して、約一〇分後に、四〇一号室の本部へ帰り、折から校長及び他の教諭で開かれていたミーティングに右の事実を報告した。

他方、五一一号室に入れられた生徒らは、濱本教諭が立ち去ったのを見て、再び他の部屋を襲撃することとしたが、丁山はこれに加わらず、午後一一時四〇分ころ、乙山、乙田、甲田、丁川、丁山、丁田の六名が五〇六号室を襲撃し、その際、前記認定のように、乙山が投げた雪駄が原告の右眼に当たり、原告が傷害を負った。乙山ら本件襲撃に参加した生徒の大部分は、いわゆる非行グループを形成しており、授業放棄、喫煙、服装違反などの問題行動をとっていた生徒であり、濱本教諭らも右の事実を知っていたが、右非行グループは、これまで格別集団的に粗暴な行動に出たことはなかった。

《証拠判断省略》

(三)  右に認定した事実によれば、本件修学旅行において、消灯後、生徒が集団的に部屋を抜け出して粗暴的行動に出ることを具体的に予測させる事情は見当たらず、右の状況下においては、引率教員が生徒の寝静まる午前零時ころまで常時五階廊下に立つなどして五一一号室の者が外出しないように監視等すべき注意義務があったとまで解するのは相当でなく、福田校長らがとった前記認定の監視体制は、全体としては、相当なものであったというべきである。

もっとも、乙山らが各部屋を順次襲撃したことを巡視の教諭が全く発見できなかったことは事実であるが、これは、襲撃が引率教員のミーティング中に短時間に行われたことが主たる原因と推測され、また、右ミーティングは、旅行実施上必要なものであり、短時間の開催であったこと、消灯後四〇分程度経過した午後一一時一〇分ころから開かれ、ミーティング中も濱本教諭は巡視を続けたことを考えれば、これをもって直ちに監視の体制が不適切であったということはできない。

5  (濱本教諭の過失について)

前記4(二)で認定した事実によれば、濱本教諭は、本来部屋から出ることを禁止されている消灯時間後に、七名の生徒が集団で階段を歩いているのを発見し、それらの生徒が従来からの問題生徒であるうえ、数時間前に五一一号室を不法に占拠した生徒達であることを知悉していたのであるから、生徒達の監視の任務についていた同教諭としては、右七名の生徒達がどこで何をしていたかを質問するなどして究明すべきであり、その任務を尽していたならば、同人らがその直前に他室を襲撃したことは容易に判明し、それによって同様な事件の再発を防止するための必要な措置を講ずることが可能であったものというべきである。それにもかかわらず、同教諭がその任務を尽さなかったために、同教諭を含む引率教員は、右生徒らの他室襲撃を阻止するための必要な措置をとることができず、その結果、乙山らが五〇六号室を襲撃することを防止することができなかったのであるから、濱本教諭には修学旅行生徒を引率する教員として過失があるといわざるを得ず、右過失と原告の被害との間には、因果関係を肯認することができる。

6  (被告呉市の責任)

右認定のとおり、被告呉市の職員である濱本教諭が、公権力の行使に当たる自己の職務を行うにつき、過失により、原告に損害を与えたのであるから、被告呉市は、国家賠償法一条により、原告が被った後記損害を賠償する責めを負う。

七  (原告の損害について)

1  逸失利益について

(一)  《証拠省略》によれば、原告は、本件事故により、右眼の視力が一・五から〇・〇九に低下し、遅くとも昭和六〇年九月二〇日にはその症状が固定したことが認められ、右障害は、自動車損害賠償保障法施行令別表の後遺障害等級一〇級、政府の自動車損害賠償保障事業損害てん補基準(運輸省自動車局長通達)別表Ⅱの労働能力喪失率一〇〇分の二七に相当し、右程度の労働能力の喪失があったと認めるのが相当である。

(二)  《証拠省略》によれば、原告は、昭和四三年三月二日生れの健康な男子であり、本件事故当時一四歳であったこと、丙川中学校卒業後広島県立江田島高等学校に進学したこと(原告と被告呉市との間では争いがない。)、高校卒業後は就職して稼働することを予定していることが認められ、これら事実を総合すると、原告は、少なくとも一八歳から六七歳に至るまで就労可能と推認される。

(三)  原告は、右就労可能な四九年間を賃金センサス昭和五七年第一巻第一表の産業計、企業規模計、男子労働者の学歴計欄の給与額に相当する賃金を取得すると解するのが相当であり、右表によれば、月額給与額が二四万六一〇〇円、年間賞与等が八四万二〇〇〇円となる。

(四)  そこで、右給与額を基礎として、前記労働能力喪失割合を乗じ、そこからライプニッツ方式で中間利息を控除して、右四九年間の逸失利益の本件事故当時における現価を求めると、一五三一万六二五〇円となる。

(24万6100円×12か月+84万2000円)×0.27×14.947=1531万6250円

2  慰謝料

《証拠省略》によれば、原告は昭和五七年五月から翌五八年三月まで一一か月間呉済生会病院などに通院して治療を受けたことが認められ、前記認定の傷害の部位、程度、右通院期間、後遺症の程度その他本件に現われた諸般の事情を勘案すれば、本件事故によって原告が受けた精神的苦痛に対する慰謝料は金四五〇万円が相当である。

八  損害の填補(抗弁、再抗弁)について

1  原告が日本学校健康会から、昭和五八年一一月二一日に障害見舞金一七五万円の給付を受けたことは、当事者間に争いがなく、右見舞金については、日本学校健康会法(昭和五七年法律第六三号)附則一四条一項の規定により、同法四二条一項の適用があると解され、同項の規定によれば、右見舞金額の限度において、原告が被告らに対して有する損害賠償請求権は、日本学校健康会に移転したことは明らかである。

したがって、右見舞金一七五万円は、前記認定の損害額から控除すべきこととなる。

2  原告が東京海上火災保険株式会社から、国内旅行傷害保険契約に基づき、昭和五八年七月一日に後遺障害保険金二〇〇万円の給付を受けたこと、右保険の保険契約者及び被保険者に原告が含まれていることは当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、右保険契約の保険料は、原告の父が原告のために拠出していたことが認められる。

ところで、右傷害保険契約に基づき給付された後遺障害保険金は、原告によって既に払い込んだ保険料の対価たる性質を有していると認められるので、前記損害につき、いわゆる損益相殺として控除されるべき利益には当たらないと解すべきである。

なお、《証拠省略》によれば、右保険契約の基本約款である損害保険普通保険約款第二四条では、保険会社が保険金を支払った場合でも、損害賠償請求権は、保険会社に移転しない旨規定していることが認められ、この点からも右のように解するのが相当と考える。

九  損害のまとめ

1  填補後の損害(一八〇六万六二五〇円)

前記のとおり、逸失利益一五三一万六二五〇円、慰謝料四五〇万円(計一九八一万六二五〇円)から日本学校健康会からの障害見舞金一七五万円を控除すると、一八〇六万六二五〇円となる。

2  弁護士費用(一四〇万円)

原告が自己の権利擁護のため訴えを余儀なくされ、訴訟の提起及び追行を原告訴訟代理人に委任し、相当額の報酬の支払を約束したことは弁論の全趣旨により明らかであるところ、本件事案の性質、事件の経過、難易、請求額及び右認容額に鑑みると、被告らに対して賠償を求め得る弁護士費用は金一四〇万円が相当である。

3  合計金額一九四六万六二五〇円

一〇  以上のとおりであるから、原告の被告らに対する本訴請求は、各自金一九四六万六二五〇円及び内金一八〇六万六二五〇円に対する不法行為の日の翌日である昭和五七年五月一四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条一項但書、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、被告呉市の仮執行免脱宣言の申立ては相当でないからこれを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小川國男 裁判官 山森茂生 木村博貴)

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